複合文化論系演習(国民文学から世界文学へ)

基本情報

科目名
複合文化論系演習(国民文学から世界文学へ)
副題
「新海誠」作品研究 ――『君の名は。』を中心に
授業タイプ
演習
担当教員
柿谷浩一
曜日
金曜日
時限
6時限
教室
33-439
授業シラバス
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授業概要

 2016年は、映画『君の名は。』の年だった、といっても言い過ぎではないでしょう。その人気は、日本国内に留まらず、公開された海外諸国でも高く、称賛の嵐が続いています。これまで海外からみて「日本のアニメーション」といえば、真っ先に宮崎駿の名が挙げられてきましたが、新海誠はこれに続くのでしょうか、あるいは越えられるのでしょうか。どちらが「優れているか」といった愚問をしたいわけでも、特別両者を比較をしたいわけでもありません。今作によって、新海誠の作品(総体)が、日本をこえて《世界》で広く受け入れられ、評価される「確かな可能性」を前に、そこに強い期待と関心を寄せつつ、代表作の特色――特に海外で作品が受容される際、ポイントとなりうると思われる作品の持つ「日本性」(例えば、日本の描き方)等を、いま一度、検討してみたいというのが、この授業です。
 分析の対象は、基本「アニメーション映画」ということになりますが、新海アニメの一つの特色でもある「小説」版との比較はもちろん、「小説」を補助線とすることで見えてくる考察も重視したいと考えています。オリエンタリズムの文脈を含む「日本的表象」の問題、震災以後の「物語=フィクション」の役割、映画と小説の「比較文学」的な関係性、翻訳と異文化理解のズレ……といった「複合文化論系」らしいテーマをできるだけ大事にしていきたいと考えてもいます。
 具体的には、『君の名は。』を軸に、小説版のある以下の3作を取り上げます。
   ● 『君の名は。』 (2016年)
   ● 『言の葉の庭』 (2013年)
   ● 『秒速5センチメートル』 (2007年)

 【授業の具体的な進め方】
 ・受講人数にもよりますが、ベースは受講生の「発表」で、その間に「ミニ講義」を挟みます。
 ・1人「30分」の個人発表を軸とします。それを受けて、毎回、受講者全員でディスカッションを行います(人数が多い場合は「30分」発表と「15分」発表を交えます)。
 ・発表については、上の対象から好きなものを選んでもらいます。それ以上の内容的な制限はあまり設けず、自由にしたいと思いますが、記した問題意識を踏まえていること、また本演習のテーマに掲げられている《文学》、あるいは《文学》的なものに何か少しでも触れることを条件にします。「日本のアニメ」状況だけだったり、「アニメーション技術」に特化したようなものではなく、「物語」としての特徴や、「台詞」などの言葉の問題、もっと進んで作品の海外評価をふまえた考察などが聴けるのを期待しています。
 ・講義回以外は、私もディスカッションの参加者のひとりです。日本文学・文化、ポップカルチャーの専門から発表に対してコメントはもちろんしますが、それ以降は「先生」というよりは、一緒に考える「仲間」でいたいというのが願いです。活発に、対等に、対話をし合えたら素敵じゃないですか。

 まずは、すでに『読売新聞』のコラムですこし解釈を提示したものを土台に(あれから私自身も見方や評価が変わってきていますが)、あらためて私なりの作品論を届けて、幾つか問題提起をするところからスタートしてみたいと思います。

授業計画

第1回 オリエンテーション+導入講義:【『君の名は。』に日本性はあるか?】
第2回 個人発表(①ターン)
第3回 個人発表(②ターン)
第4回 個人発表(③ターン)
第5回 講義:【2つのセンチ――『秒速5センチメートル』というセンチメンタル】
第6回 個人発表(④ターン)
第7回 個人発表(⑤ターン)
第8回 個人発表(⑥ターン)
第9回 講義:【新海誠の「文学」性と「小説」性】
第10回 個人発表(⑦ターン)
第11回 個人発表(⑧ターン)
第12回 個人発表(⑨ターン)
第13回 講義:【『言の葉の庭』になぜ「夏目漱石」が出てくるのか】
第14回 個人発表(予備日)
第15回 まとめ+打ち上げ(または聖地巡礼)