死の諸相

基本情報

科目名
死の諸相
副題
〈死〉をめぐる表現の諸相
授業タイプ
講義科目
担当教員
堀内正規
曜日
月曜日
時限
5時限
教室
38-AV
授業シラバス
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授業概要

 人間にとって〈死〉はもっとも基本的なものの一つでしょう。どう生きるかという問題は〈死〉とのかかわりにおいて、強く意味を持ってきます。

 この講義では、〈死〉というテーマをめぐって、日本ではどのようなすぐれた表現があるのかを、わたしなりの(その意味ではかたよった)視点から、具体的な事例に即して考え、それぞれ固有の問題からより大きな問題を考える糸口を探ってみたいと思います。

 感性文化論プログラムの科目の一つとして、感性の面にあらわれた〈死〉の諸相を、芸術創造の表現と結びつけながら、しかし芸術論の枠からずれる形で、とらえてみます。

 とはいえ、〈死〉のような問題について、わたしが学問上のディシプリンを持って何かを「教える」ようなことはとても不可能ですし、わたしが学生のみなさんよりも〈死〉のことを深く知っているということもないでしょう。その意味で、体系だった教育とはほど多く、ほとんど手探りの姿勢で、〈死〉というファクターから表現されたものに近づいていく試みをする講義になります。客観的な、あるいはアカデミックな考証をともなうような〈死〉についての知識を求める方は、この授業を履修しないようにしてください。

 さまざまな表現者の〈感性〉を通して、命題的な思想内容と重なりながらもそこから逸れた、表現によってしか形にならないような部分に着目してみます。そのような講義であるので、一段高いところから教えるのではなくて、できれば聴いているみなさんが、部分的にではあっても、毎回何かを感じたり考えたりするヒントやきっかけを提示できればと思っています。つまりこの授業はみなさんをいい意味で刺激することを目標とします。

 とりあげる予定の作品ですが、まず藤原新也の『メメント・モリ』(新版・旧版)、『納棺夫日記』と『おくりびと』、「千の風になって」、山田太一のドラマ『早春スケッチブック』、宮澤賢治「銀河鉄道の夜」とアニメ版、天童荒太『悼む人』、古屋誠一の写真、『もののけ姫』とマンガ版『ナウシカ』、高畑勲のアニメ『火垂るの墓』、村上春樹『ノルウェイの森』、出崎統『家なき子』第26話、河瀬直美『もがりの森』、手塚治虫『火の鳥・鳳凰編』、茨木のり子や岩成達也や長田弘の詩、古井由吉『白暗淵』などを考えています。紹介をしながら、結論を出すのでなく、教室で一緒に感じとってもらえるような話し方をしたいと思います。(予定は一部変更になったり順序が入れ替わったりすることもあります。)

 身近な人の死、自らの死、一般的な人間の死、大量死、物体としての死(死体)、生命の死、普遍的な死の観念など、死に向き合うポイントはさまざまですが、ひとが身に迫る感覚とともに死と向き合う機会は、〈わたしが死ぬ〉ということか、さもなければ〈愛する者が死んだ〉といった事態ではないか――そんな仮説から出発して、できるだけ偉そうな物言いをしないようにして、そのつどの試みのように話してみます。自分で感じ考えたい人に履修してほしいと思います。

 なおこの科目は2016年度まで「死の制度」というタイトルでおこなわれていた内容と重なります。その科目を履修済みの方は、履修しないようにしてください。

授業計画

第1回
イントロダクション(以下はあくまでも予定で、トピックは新しいものと替わったり、順序が入れ替わったりする可能性があります。)

第2回
「千の風になって」/藤原新也『メメント・モリ』(旧版・新版)

第3回
青木新門『納棺夫日記』/『おくりびと』

第4回
山田太一『早春スケッチブック』

第5回
杉井ギサブロー(アニメ)『銀河鉄道の夜』(原作との比較も)

第6回
天童荒太『悼む人』

第7回
古屋誠一の写真

第8回
宮崎駿『もののけ姫』/マンガ『風の谷のナウシカ』/『風立ちぬ』

第9回
高畑勲『火垂るの墓』(原作との比較も)

第10回
村上春樹『ノルウェイの森』

第11回
出崎統のアニメあれこれ/『家なき子』第26話

第12回
河瀬直美『賓の森』

第13回
岩成達也/茨木のり子/長田弘

第14回
手塚治虫『火の鳥・鳳凰編』/『ブッダ』

第15回
相米慎二の映画、あるいは……