2009年度 論系シラバストップ
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「 小林茂 」
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- 2009年度 秋期
- 土曜日 2限
-
複合文化論系演習(源泉研究と影響研究)
- 担当教員
- : 小林茂
- 授業タイプ
- : 演習I
- 教室
- :
- 授業シラバス
- : [シラバスへのリンク]
- Keywords
- : 比較文学||文学
源泉研究と影響研究は、19世紀に比較文学研究が始まったころから、重要な研究分野でした。源泉(ソース)といい、影響(インフルエンス)といい、いずれ
も水の流れの比喩から生まれた言葉です。源泉は、ある作品が、それ以前に存在したほかの作品(など)から題材などを得て成立している場合を指します。三島
由紀夫の『潮騒』はロンゴスの『ダフニスとクローエ』を源泉としているというように。影響は、ある作品(あるいは芸術家、あるいは芸術活動)が、先行する
作品(あるいは芸術家、あるいは芸術活動)に、意識的であろうとなかろうと、触発されて成立するとき、影響があると言われます。日本の自然主義は、フラン
スの自然主義の影響を受けて生まれたというように。ただし、影響はあくまでも受け取る側で起きるので、影響する側に能動的な働きがあるわけではありませ
ん。
こ
れらの問題を、文化の垣根を越えて、実証的に検討することを、源泉研究、影響研究と呼んできたわけですが、必ずしもそのような、一方から他方への流れとし
て見ないで、テキストが互いに反映しあっているというとらえ方が現れてきます。相関テキスト性(インターテクスチュアリティ)という見方です。
さて、この時間では、まず、源泉研究、つぎに影響研究、そして相関テキスト性について、実例に即しながら考えてみたいと思います。
その実例として、芥川龍之介「舞踏会」、堀辰雄『風立ちぬ』、中村真一郎『死の影の下に』を、まず取り上げてみようと考えています。
- 2009年度 秋期
- 土曜日 4限
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翻訳とその諸問題
- 担当教員
- : 小林茂
- 授業タイプ
- : 講義科目
- 教室
- :
- 授業シラバス
- : [シラバスへのリンク]
- Keywords
- : 翻訳||文学
私たちは翻訳で文学作品を読みます。
これはやむを得ないことで、文学作品を生み出しているすべての言語を自由に読みこなすことは、ありえないことです。
さてそこで、私たちは翻訳を読む。
しかしそこで問題が生じます。
文学テキストは、言語による構築体です。ですからそのテキストを作り上げている言語のあらゆる特性のもとに成立している。しかもその言語を母語とする、ある時間空間の中にある言語集団の文化の中から生まれてきている。
ではその作品を翻訳によって読むというときに、いやその前に、その作品を翻訳するというときに、何が起こっているのか。
これは単なる、翻訳技術の問題にとどまらないのです。この時間も、翻訳の技術指導を提供するものではありません。
一方で、翻訳と名乗って提供されるテキストにも、さまざまなものがあります。
原テキストは単一でも、翻訳は受け入れる側の、言語その他の状況によって、翻訳は常に新しく生まれ変わることを求められる側面もあります。
この時間では、「翻訳」という、外国文学受容には不可欠な方法が持つ問題のさまざまを取り上げて考えることにします。
そのなかで、すでに長い外国文学翻訳移入の歴史を検証するために必須な、翻訳書総目録のようなものさえ存在していないことも、私たちは問題にしなくてはならないでしょう。
- 2009年度 秋期
- 金曜日 4限
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複合文化論系演習(主題系の研究)
- 担当教員
- : 小林茂
- 授業タイプ
- : 演習II
- 教室
- :
- 授業シラバス
- : [シラバスへのリンク]
- Keywords
- : 比較文学||文学||主題
比較文学研究の枠組みの中で、「主題」の研究は、多くの成果を上げてきています。
主題とは、芸術作品を発動させる力のある、あるキーワードに収斂されるような、意識の集中する場とでも考えましょう。幼年時代とか、都市とか、愛とか、という風に考えてください。
時
間と空間のさまざまな垣根を越えて共通に起こっている文芸の事象を考えるのが比較文学の働きだとするなら、時代も国も違っても、文芸(文学と言わないの
は、それ以外の芸術表現の分野にもことは及ぶからです)表現に、ある主題がもたらす力は、大きいからです。たとえば、「死」という主題が中心となっている
作品がどれくらいあるか考えたらわかるでしょう。
さて、比較文学プログラムの科目として新たに設けられるこの演習の最初の年ですから、《幼年》(あるいは《幼年時代》)を取り上げてみましょう。
最初に、主題研究全般について考えた上で、《幼年》を主題とする作品を取り上げて、順次に検討していきながら、類似と相違、その理由などをとらえ、《幼年》という主題が、表現者に課すものが何であるか、またその力はどれほどのもであるかを、考えてみましょう。
そのために、開講前の宿題として、《幼年》の主題の作品をたくさん探しておいてください。
- 2009年度 通年
- 金曜日 6限
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比較文学ゼミ1(《文学》の発見(近代日本と芸術表象))
- 担当教員
- : 小林茂
- 授業タイプ
- : ゼミ
- 教室
- : 戸山 39-2308小林茂研究室
- 授業シラバス
- : [シラバスへのリンク]
- Keywords
- : 文学||芸術
近代の日本においては、西欧に学びつつ《文学》が発見されていきました。言文一致も、新体詩も、演劇改良も、それぞれは小説話法の、近代抒情詩の、戯曲の発明であると同時に、制度としての《芸術》の発見にほかなりませんでした。しかもその時、西欧では、制度としての《芸術》を成立させた近代への懐疑が始まっていて、《日本》もまた、その懐疑への一つの解決の可能性として、西欧によって発見されつつあったのでした。
日本近代の芸術のあり方の諸相とその問題を、とりあえずは中心主題としたいと思います。
近現代の日本の人々が、どのように西欧の文化に触れて、これを取り入れようとし、または反発していったか、さまざまな場合を取り上げて考えていくこと、それがゼミの枠になります。
しかし、その枠に関わって、実はありとあらゆる問題(文芸上でと限っておきます)が浮かび上がります。ですから、その枠を定めた上でなお、《芸術》の制度、また《前衛》の誕生なども問題になるでしょうし、文学と造形芸術や音楽の相互関係や、東と西との互いに交差する視線の検討(例えば、外から見た日本、など)も問題になりうるでしょう。
要するに、参加者それぞれの関心に沿うように、幅広い自由な考察の場としたいと思います。
- 2009年度 秋期
- 月曜日 6限
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比較文学の方法
- 担当教員
- : 小林茂
- 授業タイプ
- : 講義科目
- 教室
- :
- 授業シラバス
- : [シラバスへのリンク]
- Keywords
- : 比較文学||文学||主題
比較文学という研究分野のあり方については、「比較文学入門」で学んだはずです。
この時間はそれに続くものですが、「入門」未履修であっても、理解できるように、比較文学の考え方全般から始めます。
その上で、比較文学の考え方が最も明瞭に反映する、展望の枠組みを考えてみます。
一つは、芸術上の考え方、あるいは思潮というものです。
さまざまな芸術上の主張は言語や文化の垣根をこえて広がります。そのあり方、また、同じ主張が、伝播の先で変容していく様子、これを考えることができます。
一つは、ジャンルの問題です。言語表現上で、まったく違う文化的土壌の各地域にわたっても、共通した言語的特徴をもったジャンルが成立していることの意味を考える方向です。
一つは、主題の持つ力の検討の方向です。主題とは、芸術作品を発動させる力のある、あるキーワードに収斂されるような、意識の集中する場とでも考えましょう。幼年時代とか、都市とか、愛とか、という風に考えてください。
およそ以上の三つの枠組みの中で、比較検討は行われることが多いのです。
いずれにしても、言葉や、文化や、表現方法やの垣根を越えて事柄が起こるときに、比較の目がこれを捉えます。
伝播の側から見れば影響と言えるかも知れない、しかし受入の側から見れば受容というべきでしょう。また、そのような直接触れあう意識はなくとも、類似が見られるかもしれない。垣根を超えた芸術現象について、そこで起こっていることを見るのが比較文学だからです。
その方法は?
実は既成の方法はないと考えなくてはなりません。
ただし基本には、作品があると考えておきましょう。そして、検討しようとする問題ごとに、検討すべき作品群が、検討者の知識と感受性によって資料体として(初めは作業仮説的に)選び出され、それが検討の過程でさらに選りすぐられ、追加されて、いくはずです。
それらの上に、対比しつつ展望する研究者の目が、比較文学を成立させるのです。何かと何かの比較だけで、比較文学が成立するのでは決してありません。
- 2009年度 通年
- 金曜日 6限
-
比較文学ゼミ1(《文学》の発見(近代日本と芸術表象))
- 担当教員
- : 小林茂
- 授業タイプ
- : ゼミ
- 教室
- : 39-2308小林茂研究室
- 授業シラバス
- : [シラバスへのリンク]
- Keywords
- : 比較文学||文学||芸術
近代の日本においては、西欧に学びつつ《文学》が発見されていきました。言文一致も、新体詩も、演劇改良も、それぞれは小説話法の、近代抒情詩の、戯曲の
発明であると同時に、制度としての《芸術》の発見にほかなりませんでした。しかもその時、西欧では、制度としての《芸術》を成立させた近代への懐疑が始
まっていて、《日本》もまた、その懐疑への一つの解決の可能性として、西欧によって発見されつつあったのでした。
日本近代の芸術のあり方の諸相とその問題を、とりあえずは中心主題としたいと思います。
近現代の日本の人々が、どのように西欧の文化に触れて、これを取り入れようとし、または反発していったか、さまざまな場合を取り上げて考えていくこと、それがゼミの枠になります。
し
かし、その枠に関わって、実はありとあらゆる問題(文芸上でと限っておきます)が浮かび上がります。ですから、その枠を定めた上でなお、《芸術》の制度、
また《前衛》の誕生なども問題になるでしょうし、文学と造形芸術や音楽の相互関係や、東と西との互いに交差する視線の検討(例えば、外から見た日本、な
ど)も問題になりうるでしょう。
要するに、参加者それぞれの関心に沿うように、幅広い自由な考察の場としたいと思います。
- 2009年度 春期
- 火曜日 7限
-
文学と言語
- 担当教員
- : 小林茂
- 授業タイプ
- : 講義科目
- 教室
- : 戸山 32-323
- 授業シラバス
- : [シラバスへのリンク]
- Keywords
- : 文学||言語
文学は何で出来ているか?
そう問いを発すると、さまざまな答えが返ってきそうです。
しかし、文学のテキストは、言葉で出来ている。それ以外ではありません。(実は、そのテキストは、多く本の形で流布しますし、本としての姿もまた、文学の流通あるいは受容を条件づけますけれど、とりあえずは、テキストとしてのみ考えておきます)。
20世紀に発展した言語学の知見と、そこから生まれてきた、詩の構造分析、あるいは物語論などによって、文学作品をテキストとして厳密に捉えていこうとする研究が数多く生まれました。
これによって、いかなる言語によって表現された作品であろうと、言語による構築体として捉えることによって、共通の地盤で検討することができるようになったと考えてよいのです。
この時間では、言語の働きに対する理解が、どのように文学研究にかかわってくるかを中心に、いくつかの問題を取り上げて考えてみることにします。
言語学によって明らかにされてきたいくつかの事項の検討の後に、
言語の詩的機能、
文法上の人称とジャンルの問題、
物語の基本的構造、
などの問題を取り上げて、実例に即して考えていくことになるでしょう。
