2009年度 春期開講授業一覧
「 大久保進 」
選択条件をリセット- 2009年度 春期
- 土曜日 2限
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複合文化論系演習(国民文学と比較文学研究)
- 担当教員
- : 大久保進
- 授業タイプ
- : 演習I
- 教室
- : 戸山 31-01
- 授業シラバス
- : [シラバスへのリンク]
- Keywords
- : 文学||比較文学
比較文学研究は19世紀の終わりにヨーロッパに一個の学問分野として名乗りを挙げましたが、これは、18世紀の国民意識の形成および19世紀の国民国家の成立と、そしてそれに先行するよりよき国語創出の意欲とに深いかかわりをもっています。
この歴史的プロセスの中で、ヨーロッパ諸国は、その出発に早い遅いの違いはあっても、国民国家を実現します。だから、国民文学が有効であった時代と社会は間違いなく存在しました。つまり、国語であると意識された言語で書かれた文学はすべて国民文学であるとは言えないとしても、国民と国民文化の意識なしには国民文学は不可能だったということです。
しかし、国家名を冠した国民文学がその学問的有効性を疑問視されるようになって、すでに久しいのです。国民文学研究において、例えば、同じ英語で書かれれているイギリス文学とアメリカ文学、同じドイツ語で書かれている東と西のドイツ文学・オーストリア文学・スイス文学、英語とフランス語で書かれているカナダ文学をどう考えるか?あるいは、英語とフランス語で書いたベケット、日本語とドイツ語で書いている多和田葉子、さらには、チェコ語とイディッシュ語に囲まれてドイツ語で書いたカフカをどう位置づけるか?
こうした問いの基底にあるのは、国語、国民、国民文化の問題意識であって、比較文学研究は、先ず国民文学研究を補完するものとして、やがてそれに対峙するものとして展開してきたのです。そして今や、この問いかけは、世界文学や惑星文学の意識へとつながっているのです。
この演習では、最初数回、こうした問いや意識を歴史的・原理的に概観します。以降は、受講者に、それぞれの興味関心・問題意識によってテーマを立ててもらい、それについて調査報告あるいは研究発表をしてもらいます。
- 2009年度 春期
- 火曜日 5限
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複合文化論系演習(文学思潮・文学運動の文学社会学的研究)
- 担当教員
- : 大久保進
- 授業タイプ
- : 演習II
- 教室
- : 戸山 32-127
- 授業シラバス
- : [シラバスへのリンク]
- Keywords
- : 文学
一般に、特定の主張が個人的主張の域を越えて、時代や社会のなかで思潮となり運動となる時には、その主張自体に拘って主張者である個人の枠に留まって、その主張者が生きている時代や社会にも目を向けることをしなければ、つまり、その主張を受け入れる、場合によっては拒否する時代や社会をも合わせ見なければ、それが思潮や運動として成り立っていくプロセスは、そしてその思潮や運動そのものは理解できません。このことを当然の前提として、それを文学(あるいは芸術)の領域において、具体的な事例に即して検証してみることが、この授業の目的です。
「…主義」とか「…派」と称される、特定の文学主張をなす集団は、17世紀以降のヨーロッパ文学を考えただけでも、啓蒙主義、シュトゥルム・ウント・ドラング、古典主義、ロマン主義、写実主義、自然主義、即物主義、芸術至上主義、表現主義などなど(なかにはさらに「新」の付くものさえありますが)、枚挙に暇ありません。皆さんには、先ず各自対象を定めてもらい、特定の主張が思潮となり運動となっていくプロセスを、主張の内容を問うとともに、その時代と社会の動向にも目を向けて解き明かす文学社会学的な試みに挑戦してくださることを求めます。そして余力があれば、その思潮や運動の個別文学間における影響関係や類比関係にも目を向けてくださることを期待します。授業は、具体的には私の導入的な概論と簡単な事例紹介の後は、皆さんの調査・研究の報告と、それについての質疑応答とを考えています。そしてさらに議論へと展開していければ、と思います。
- 2009年度 春期
- 月曜日 6限
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比較文学入門
- 担当教員
- : 大久保進
- 授業タイプ
- : 講義科目
- 教室
- : 戸山 36-682
- 授業シラバス
- : [シラバスへのリンク]
- Keywords
- : 比較文学||文学
比較文学とは紛らわしい用語です。なぜなら、児童文学、恋愛文学、幻想文学、政治文学、近代文学、古典文学などの用語の場合とちがって、比較文学の語は、特定主題の言語芸術作品、あるいは文学史的時代区分、あるいは評価的規範を表現しているのではなくして、比較という意識あるいは方法による文学研究を、つまり比較論的文学研究を意味しているからですし、しかもそれでいて、比較文学研究の用語を使っているドイツ語とロシア語を除けば、フランス語も英語も中国語も、そして無論日本語も比較文学とのみ称しているからです。
もう一つ困ったことがあります。それは、およそどんな学問研究も、比較という意識あるいは方法を欠いては成り立たないということです。つまり、では何ゆえに比較文学は事々しく比較の語を冠するのか、と問わざるをえないのです。事柄は比較言語学や比較解剖学や比較法学などの場合よりも、はるかに分かりにくいのです。しかもさらに事情を複雑にしているのは、比較文学(研究)者のなかには、「比較文学」は「国境や言語の壁を越えて、各国文学の枠内では扱えない、または扱いきれない文学上のさまざまな問題を取り扱う学問分野」とまっとうに定義した上で、しかしこともなげに「必ずしも〈比べる〉ことが主題ではない」と言い切っている人もいるからなのです。とすると、そもそも比較という意識あるいは方法とは一体何なのか、と問わざるをえないことになります。
この授業では、ある意味できわめて初歩的なこの問いを出発点にして、比較文学(研究)という学問分野が生まれ発展し今にいたった歴史を検証します。そうすることによって、この問いに答えることができるばかりでなく、新たな展望あるいは可能性をえることもできるだろう、と思うからです。
- 2009年度 通年
- 木曜日 6限
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比較文学ゼミ2(文学・芸術の再出発(ヨーロッパ文学・芸術の諸相))
- 担当教員
- : 大久保進
- 授業タイプ
- : ゼミ
- 教室
- : 戸山 31-301研究指導室
- 授業シラバス
- : [シラバスへのリンク]
- Keywords
- : 文学||芸術
1949年アドルノが提出した「アウシュヴィッツの後で詩を書くことは野蛮である」というテーゼと向き合うことを強いられた戦後ドイツの詩人・作家は、このテーゼの意味を解き明かしながら、重大な自己点検・自己反省を迫られます。その成果の一例がギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』であり、『犬の年』です。この関連でだけ考えるかぎり、これはドイツ語文学研究の領域の問題です。しかし、第二次世界大戦に参戦した諸国に目を向けて、同じ問題意識の枠組のなかで戦後文学・戦後芸術の再出発・新出発を考える時、私たちは否応なく比較文学研究の地平に立つことになります。このような再出発・新出発の契機としてさまざまな転換の時点を見出すことができます。それがどのようなものであれ、そこに見出される新旧の対決、否定と革新を大枠と定めて、ゼミ参加者は、各自の意向にしたがって具体的に問題を立て、それを解くことを試みること、これが本ゼミの授業の内容になります。
最終目標であるゼミ論の執筆・提出を前提とすれば、原理的に、3年次はその計画の準備期間、4年次はその実行期間と位置づけられますが、ここでは3年次の行程のみ示します:
春期:標記の枠題において取り扱われるべき、また取り扱われうるさまざまなテーマについて説明する導入部を経て、ゼミ参加者は各自、この枠題との関連において個別テーマを模索し仮確定する。その際、経過報告・質疑応答・討論は必須です。場合によっては、方法論への意識の強化が、さらに、図書館・資料館での資料探索、博物館・美術館での観察などについて、実習的場面での訓練も考慮されなければならないかもしれない。
秋期:ゼミ参加者は、仮確定したテーマについて、本文テクストや参考文献の繙読・資料収集などの必要な作業を夏休み中から進めながら、その蓄積を踏まえて報告・発表をおこない、そこでの意見や批判を参考に、さらに勉強を重ねて、その成果を年度末にレポートとして提出する。
