死の諸相

基本情報

科目名
死の諸相
副題
〈死〉をめぐる表現の諸相
プログラム
人間文化
授業タイプ
講義科目
担当教員
堀内正規
曜日
月曜日
時限
5時限
授業シラバス
[シラバスへのリンク]

授業概要

 人間にとって〈死〉はもっとも基本的なものの一つでしょう。どう生きるかという問題は〈死〉とのかかわりにおいて、強く意味を持ってきます。

 この講義では、〈死〉というテーマをめぐって、日本ではどのようなすぐれた表現があるのかを、わたしなりの(かたよった)視点から、具体的な事例に即して考え、それぞれ固有の問題からより大きな問題を考える糸口を探ってみたいと思います。感性の面にあらわれた〈死〉の諸相を、芸術創造の表現と結びつけながら、しかし芸術論の枠からずれる形で、とらえてみます。

 とはいえ、〈死〉のような問題について、わたしが学問上のディシプリンを持って何かを「教える」ようなことはとても不可能ですし、わたしが学生のみなさんよりも〈死〉のことを深く知っているということもないでしょう。
 その意味で、体系だった教育とはほど遠く、いつも手探りの姿勢で〈死〉というファクターから表現されたものに近づいていく試みをする講義になります。客観的な、あるいはアカデミックな考証をともなうような〈死〉についての知識を求める方は、この授業を履修しないようにしてください。

 さまざまな表現者の〈感性〉を通して、命題的な思想内容と重なりながらもそこから逸れた、表現によってしか形にならないような部分に着目してみます。

 そのような講義であるので、一段高いところから〈教える〉ような性質の授業ではなく、「こんなふうに考えられると思いますがみなさんはどうでしょうか」という姿勢で、できれば講義を通じて聴いているみなさんが、部分的にではあっても、毎回何かを感じたり考えたりするヒントやきっかけを提示できればと思っています。だからこの授業の目標は、みなさんをいい意味で刺激することです。

 とりあげる予定の作品の順番は、各回のシラバスの順序から変更することがありますので、あらかじめご容赦ください。またシラバスにない作品を対象にする可能性も残っています。最後はフィードバックの回にします。

 身近な人の死、自らの死、一般的な人間の死、大量死、物体としての死(死体)、生命の死、普遍的な死の観念など、死に向き合うポイントはさまざまですが、ひとが身に迫る感覚とともに死と向き合う機会は、〈わたしが死ぬ〉ということか、さもなければ〈愛する者が死んだ〉といった事態ではないか――そんな仮説から出発して、できるだけ偉そうな物言いをしないようにして、そのつどの試みのように話してみます。自分で感じ考えたい人に履修してほしいと思います。

授業計画

1:
第1回
イントロダクション(以下はあくまでも予定で、トピックは新しいものと替わったり、順序が入れ替わったりする可能性があります。)
2:
第2回
村上春樹 『ノルウェイの森』
3:
第3回
青木新門 『納棺夫日記』 映画『おくりびと』
4:
第4回
山田太一 『早春スケッチブック』
5:
第5回
杉井ギサブロー(アニメ)『銀河鉄道の夜』(原作との比較も)
6:
第6回
藤原新也 『メメント・モリ』
7:
第7回
宮崎駿『もののけ姫』 (+『風立ちぬ』)
8:
第8回
天童荒太『悼む人』
9:
第9回
高畑勲『火垂るの墓』
10:
第10回
古屋誠一の写真
11:
第11回
小津安二郎 『小早川家の秋』(+『東京物語』)
12:
第12回
手塚治虫『火の鳥・鳳凰篇』
13:
第13回
出崎統『家なき子』第26話(その他)
14:
第14回
学生の質問などに応答するレスポンスの回